戦時下の現在を考える講座は、2012年の夏以降、2月と8月に定期的な集会を開いてきました。今年の夏はつくば市で、『黙祷と国家を考える―8・15と3・11』という総題の下、7月20日に<黙祷>についての学習会、8月10日に靖国神社と神道と「天皇教」についての集会+デモという二部立てで開きます。7月には実践者、8月には研究者のゲストを招いてお話をうかがいます。
黙祷と国家を考える―8・15と3・11
◆学習会 7月20日(日)
黙祷とは何なのか?
14時~17時 参加費500円
・報告 主催より
・提起 日野 直近さん(靖国解体企画)
・全体討論
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◆集会+デモ 8月10日(日)
14時~16時30分 参加費500円
・お話 「靖国にいたる道」
伊藤 聡さん(茨城大学教授 日本思想史
著書『神道とは何かー神と仏の日本史』
中公新書、2012年 その他)
・全体討論
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17時~ つくば駅周辺にて
※集会のみ・デモのみの参加も歓迎です
■会場(両日とも) つくば市立 吾妻交流センター
7月20日:和室
8月10日:大会議室にて
■主催 戦時下の現在を考える講座(https://twitter.com/against_war)
問合せ tel : 090-8441-1457加藤/080-5459-9576鈴木
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◆7/20 黙祷とは何なのか?
相も出席する政府主催の式典ですが、なぜ人々が死んだのか、責任は誰にあ
るのか、はそこでは問われません。問われれば、少なくとも先代の天皇裕仁
は出席できなかったでしょう。そしてこの会場を中心に正午には全国で一斉
に黙祷がなされます。責任を不問にしたままで国民に要請される儀礼として
の祈りには、どんな意味があり、どのような効果がもたらされるのでしょう?
悲劇的出来事による死者を追悼するために、主宰者の指示に服して一定時
間の沈黙と不動を守る集団的儀式としての黙祷は、古くからある伝統宗教的
な祈りの形式ではありません。遡るとそれは、第一次大戦で未曾有の大量死
と文明の崩壊に直面した近代西欧が発明したものです。危機をもたらすのは
戦争だけではありません。この国では二年前の三月十一日から、政府主催・
天皇出席で黙祷を挙行する式典がもう一つ加わりました。すると黙祷とは、
国家に対する国民の離反、国民国家の分裂解体を覆い隠し食い止めるための
装置のことなのでしょうか。
黙祷とはいったい何なのか?今や学校・会社・スポーツなど様々なレベル
の社会集団に浸透し、私たちも当然のように従っているこのよくわからない
制度について知り考えるために、二十年もの間、追悼反対をかかげて八月十
五日の靖国神社へ抗議行動を続けている靖国解体企画の日野直近さんをお招
きして、黙祷の機能・黙祷と死者・黙祷と宗教・黙祷と共同体・黙祷にどう
対すべきかなどなど、集まったみなで話し合いたいと思います。
8・15の黙祷は靖国神社でも行われます。それだけでなく、靖国は敗戦以前
から黙祷を挙行してきました。何のために?靖国は維新政府が戦争遂行のため
に必要として創った宗教施設であり、陸・海軍省管轄の軍事施設でした。三十
年前の中曽根首相の言葉「外国に行っても無名戦士の墓であるとか、国のため
に倒れた人に対して国民が感謝を捧げる場所がある。さもなくして、誰が国に
命を捧げるか。」が戦争神社・靖国の本質をよく表しています。そこで行われ
る黙祷は、兵士が悔いなく戦死するための儀式です。戦前と戦後、その黙祷に
断絶はあるのか。
戦死した当人自身の思想・立場や宗教、また遺族の意思などは無視して祀る
べき死者を選別し、選んだ魂たちを呼び出し一つにして、個性を失った漠た
る神となす。この英霊が国土と私たちを永遠に見守ってくれるのだという、靖
国(と全国の護国神社)の信仰と神祭りもまた、古来より変わらない「日本の
きものです。そもそも私たちが「神道」と思っているものは古代から連綿と伝
承されたのではなく、中世を画期として徐々に形成されてきたこと、そしてそ
の流れがいかに近代の靖国誕生にまで至るのかを、思想史家の伊藤聡さんが集
会ではお話下さいます。
さて勉強したあとは、やはり街に出なければなりません。同調圧力をますま
す上げる一方、戦争への傾斜を転がり落ちてゆくこの社会の内部で、国家に規
定され縛りつけられた国民から、少しだけ離れてみませんか?ちょっとした、
非国民のススメ。