戦時下の現在を考える講座 フォー・ビギナーズ

 

 
 
 
 
 
朝日新聞って嘘ついてたの? 従軍慰安婦って本当に日本がそんなことしてたの? そんな疑問を持っているあなたに
初心者(ビギナー)のための入門講座、はじめ〼
テキストは『日本軍「慰安婦」制度とは何か』吉見義明 岩波ブックレット  読んでなくてもOK

日本の近現代史にまつわる問題について考える、初心者のための入門講座、はじめます。もちろん初心者でない方も歓迎です。

  一人の証言が信用できないからと言っても、ほかの証言者や証拠まですべては否定できないはずです。でも今、そんなデタラメがマスコミやネットでまかり通っています。朝日新聞従軍慰安婦報道についての検証記事に対して「朝日は嘘をついていた、従軍慰安婦はいなかった」キャンペーンのことです。このキャンペーンがどう間違っているのか、そしてそもそも従軍慰安婦とはどういうもので、何が問題なのかを考えてみます。
  テキストは『日本軍「慰安婦」制度とは何か』吉見義明さんの書いた岩波ブックレットです。薄くて読みやすい本です。読んでいなくてももちろん参加できます。
  自衛隊の海外派兵が当たり前となった今は「戦時下」ではないでしょうか?
 

安倍政権による相次ぐ死刑執行に対する抗議声明

戦時下の現在を考える講座 安倍政権による相次ぐ死刑執行に対する抗議声明

自由民主党第二次安倍政権による相次ぐ死刑執行に抗議する。安倍政権はこれ以上の死刑執行をやめ、殺人につながるすべての政策をやめよ。

 

  安倍政権による死刑執行が続いている。二〇一二年十二月の政権発足以来、この八月二十九日の二名に対する執行で計六回、十一人が死刑にされた。これは一九九二年の後藤田法相による死刑執行再開以来、「ベルトコンベアーのように」執行を望んだ鳩山法相に次ぐ多さである。〇六年の第一次安倍政権と合わせると二年半で二十一名にものぼる。この国の死刑執行に対しては国内からだけでなく国際的にも、国連人権委員会からの度重なる勧告をはじめとした批判の声が強まる中で、このペースは異様である。法務官僚のみならず政権自体にも死刑執行への強い執着がうかがえる。法務官僚も安倍も、国家による殺人権の行使、すすんで戦争ができない現状下では唯一の殺人権の行使である死刑執行を、何としても手放したくないのだろう。それは人命軽視の政策を取る政権からすれば当たり前のことなのだろうが、その姿勢を断じて認める訳にはいかない。

  安倍晋三とその政権は戦争のできる国を目指している。第一次安倍政権では教育基本法を改悪し、憲法改正手続きのための国民投票法を成立させ、今回は内閣での憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認という、立憲主義を無視した手法を用いて九条の無効化を謀った。昨年末に世論を無視して強行した特定秘密保護法の制定も、国内での異論を封じて戦争をするための準備である。 戦争とは敵味方を問わず大量の死者を出すことが前提の行動であり、人命を尊重していてはそもそも不可能である。そうした行動を行えるように法整備を続けている政権が人命を軽視するのは当然だろう。障碍者の自立を強引にうながし、また生活保護の適用を今以上に厳しくして、社会的弱者をも資本の論理に従わせようとすることは、そうした制度・法律がなければ生きていくことが困難な ―だからこそそれらは設置されているのだ― 人々を、生きることが不可能な方向へ押しやるものである。世界一企業が活動しやすい国を目指すということは、世界一労働者が搾取され、やはり生きていくことが困難になる国を目指すということである。安部政権にとって「国民」とは、数字として把握される「物」=「人的資源」である。女性の活用を大きく謳っているが、それも実のところは子どもを生み育てさせることによって「国民」という資源を増やした上、子どもとかかわる以外の時間は労働力として活用する、ということでしかない。戦争をするためには人命は軽視され人権は無視される。人は「物」として活用される。たとえ戦争を始める理由が国民の生命・財産を守る、であっても、実際に戦争が実行されるにあたっては「国民の生命・財産」は戦争に必要な国の資産としてカウントされ、利用される。それはこの国の歴史を顧みれば明らかだ。

  こうした一連の政策の中で、最も生命を軽んじているものが死刑執行である。判決の原因となった犯罪は既に行われているゆえ、失われた生命は取り戻しようがないが、その結果として公然と行われる殺人は未然に防ぐことができるものだ。冤罪の可能性がほんの少しあるだけで死刑執行は行ってはならない。執行してしまえばそれが取り返しのつかない行為になりうることは誰にでもわかる。だが仮に裁判にまったく不備がなく、冤罪の可能性がなかったとしても、人を殺すことは単に殺人であり、国家がやっているのでその責任が問われないにすぎない。戦争も死刑も、国家による殺人権の行使である。しかし、そのようなグロテスクなものを断じて認めてはならない。人の命は官僚たちが増減をカウントできるような「資源」ではない。国家にも誰にも人を殺せる権利などないのだ。

  自由民主党第二次安倍政権による相次ぐ死刑執行に抗議する。安倍政権はこれ以上の死刑執行をやめ、殺人につながるすべての政策をやめよ。

 

2014年9月20日 戦時下の現在を考える講座

8/10(日) 靖国と天皇教を問う+靖国と天皇いらないデモ(茨城・つくば)

 
『黙祷と国家を考える―8.15と3.11』第2弾!
  8月10日(日) 集会+デモ ※集会のみ・デモのみの参加も歓迎です
 
靖国と「天皇教」を問う 14時~16時30分/参加費500円
 ・お話靖国にいたる道
     伊藤 さん
                 (茨城大学教授 日本思想史
      著書『神道とは何か―神と仏の日本史』中公新書2012年 その他)
  
 ・全体討論
  
  ■会場 つくば市立 吾妻交流センター 大会議室           
         (茨城県つくば吾妻1-10-1TXつくば駅前 アイアイモール4F)
 
 
靖国天皇いらないデモ   17時~ つくばセンター広場出発
                       つくば駅周辺にて
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■主催 戦時下の現在を考える講座(https://twitter.com/against_war
  問合せ   tel : 090-8441-1457加藤/080-5459-9576鈴木
              mail : under_the_war_regime@yahoo.co.jp

 

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 815の黙祷は靖神社でも行われます。それだけでなく、靖は敗戦以前
から黙祷を挙行してきました。何のために?靖神社とは維新政府が戦争遂行
のために必要として創った宗教施設であり、陸・海軍省管轄の軍事施設でした。
三十年前の中曽根首相の言葉「外国に行っても無名戦士の墓であるとか、
ために倒れた人に対して民が感謝を捧げる場所がある。さもなくして、誰が
命を捧げるか。」が戦争神社・靖の本質をよく表しています。そこで行
われる黙祷は、兵士が悔いなく戦死するための儀式です。戦前と戦後、その黙
祷に断絶はあるのか。
 
 戦死した当人自身の思想・立場や宗教、また遺族の意思などは無視して祀る
べき死者を選別し、選んだ魂たちを呼び出し一つにして、個性を失った漠た
神となす。この英霊土と私たちを永遠に見守ってくれるのだという、靖
(と全国の護神社)の信仰と神祭りもまた、古来より変わらない「日本の
ころ」などではなく、近代に創出された神道ならぬ「天皇教」とでも呼ぶべ
ものです。そもそも私たちが「神道」と思っているものは、古代から連綿と
承されてきたのではなく、中世を画期として徐々に形成されてきたこと、そ
てその流れがいかに近代の靖誕生にまで至るのかを、思想史家の伊藤聡
が集会ではお話くださいます。
 
 さて勉強したあとは、やはり町へ出なければなりません。同調圧力をますま
上げる一方、戦争への傾斜を転がり落ちてゆくこの社会の内部で、家に規
定され縛りつけられた民から、少しだけ離れてみませんか?ちょっとした、
のススメ。

黙祷と国家を考える―8・15と3・11(7/20・8/10 つくば市)

 戦時下の現在を考える講座は、2012年の夏以降、2月と8月に定期的な集会を開いてきました。今年の夏はつくば市で、『黙祷と国家を考える―8・15と3・11』という総題の下、7月20日に<黙祷>についての学習会、8月10日に靖国神社神道と「天皇教」についての集会+デモという二部立てで開きます。7月には実践者、8月には研究者のゲストを招いてお話をうかがいます。

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     黙祷と家を考える―815と311 
 

◆学習会 7月20日(日)

   黙祷とは何なのか?
    14時~17時 参加費500
  ・報告 主催より
  ・提起 日野 直近さん(靖国解体企画)
  ・全体討論
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◆集会+デモ 810日(日)
  
 集会 靖国と「天皇教」を問う
           14時~1630分 参加費500
  ・お話 靖国にいたる道
      伊藤 聡さん(茨城大学教授 日本思想史
             著書『神道とは何かー神と仏の日本史』
                 中公新書2012年 その他)
  ・全体討論
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 デモ 靖国天皇いらないデモ 
              17時~ つくば駅周辺にて
 
 ※集会のみ・デモのみの参加も歓迎です
 
 
  ■会場(両日とも)  つくば市立 吾妻交流センター
              720日:和室 
              810日:大会議室にて
  (茨城県つくば市吾妻1-10-1TXつくば駅前 アイアイモール4F)
  
  ■主催 戦時下の現在を考える講座(https://twitter.com/against_war
    問合せ tel : 090-8441-1457加藤/080-5459-9576鈴木
                mail : under_the_war_regime@yahoo.co.jp
 

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7/20 黙祷とは何なのか?
 
 この地では毎年八月十五日に全戦没者追悼式典が開かれます。天皇
相も出席する政府主催の式典ですが、なぜ人々が死んだのか、責任は誰
るのか、はそこでは問われません。問われれば、少なくとも先代の裕仁
は出席できなかったでしょう。そしてこの会場を中心に正午には全
に黙祷がなされます。責任を不問にしたままで民に要請される儀礼して
祈りには、どんな意味があり、どのような効果がもたらされるのでしょう?
 
 悲劇的出来事による死者を追悼するために、主宰者の指示に服して一定時
間の沈黙と不動を守る集団的儀式としての黙祷は、古くからある伝統宗教的
な祈りの形式ではありません。遡るとそれは、第一次大戦で未曾有の大量死
文明の崩壊に直面した近代西欧が発明したものです。危機をもたらすのは
戦争だけではありません。このでは二年前の三月十一日から、政府主催・
天皇席で黙祷を挙行する式典がもう一つ加わりました。すると黙祷とは、
家に対する民の離反、家の分裂解体を覆い隠し食い止めるための
装置のことなのでしょうか。
 
 黙祷とはいったい何なのか?今や学校・会社・スポーツなど様々なレベル
社会集団に浸透し、私たちも当然のように従っているこのよくわからない
制度について知り考えるために、二十年もの間、追悼反対をかかげて八月十
五日の靖神社へ抗議行動を続けている靖解体企画の日野直近さんをお招
して、黙祷の機能・黙祷と死者・黙祷と宗教・黙祷と共同体・黙祷にどう
対すべきかなどなど、集まったみなで話し合いたいと思います。
 
 
8/10 靖と「天皇教」を問う+靖天皇いらないデモ
 
 815の黙祷は靖神社でも行われます。それだけでなく、靖は敗戦以前
から黙祷を挙行してきました。何のために?靖維新政府が戦争遂行のため
に必要として創った宗教施設であり、陸・海軍省管轄の軍事施設でした。三十
年前の中曽根首相の言葉「外国に行っても無名戦士の墓であるとか、のため
に倒れた人に対して民が感謝を捧げる場所がある。さもなくして、誰が
命を捧げるか。」が戦争神社・靖の本質をよく表しています。そこで行われ
る黙祷は、兵士が悔いなく戦死するための儀式です。戦前と戦後、その黙祷に
断絶はあるのか。
 
 戦死した当人自身の思想・立場や宗教、また遺族の意思などは無視して祀る
べき死者を選別し、選んだ魂たちを呼び出し一つにして、個性を失った漠た
る神となす。この英霊土と私たちを永遠に見守ってくれるのだという、靖
(と全の護神社)の信仰と神祭りもまた、古来より変わらない「日本の
こころ」などではなく、近代に創出された神道ならぬ「天皇教」とでも呼ぶべ
きものです。そもそも私たちが「神道」と思っているものは古代から連綿と伝
承されたのではなく、中世を画期として徐々に形成されてきたこと、そしてそ
の流れがいかに近代の靖誕生にまで至るのかを、思想史家の伊藤聡さんが集
会ではお話下さいます。
 
 さて勉強したあとは、やはり街に出なければなりません。同調圧力をますま
上げる一方、戦争への傾斜を転がり落ちてゆくこの社会の内部で、家に規
定され縛りつけられた民から、少しだけ離れてみませんか?ちょっとした、
のススメ。
 
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