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戦時下の現在を考える講座

つくば市を中心に活動する独立小グループ。2003 年イラク戦争への自衛隊派兵以降、日本は戦時下に入ったという認識を起点に、戦争と国民国家・ナショナリズムをできるかぎりラディカルに問おうともくろむ、茨城のささやかにしつこく出る杭。主に2 月と8 月に集会・デモを企画するほか、隔月読書会を開いてきましたが、今後は迫りくる<退位/X デー>を見すえて天皇制に的を絞った学習会を定期的に続行中。しかし、ほんとうに戦争が始まった。

11/1(日)【フォー・ビギナーズ】「サミット体制」とはなにか?

学習会/読書会

         戦時下の現在を考える講座 For Beginners

                「サミット体制」とはなにか?

  11月1日(日)14時-16時

  つくば市立吾妻交流センター 小会議室

     (つくば市吾妻1-10-1、TX線つくば駅つくばセンタービル4F Google マップ

  資料・室代:300円

テクスト: 栗原 康『G8サミット体制とはなにか』                以文社、2008年 ※品切れ中)                            

  ※事前にテクストがお入用の方は、対応しますので下記お問合せまでご連絡ください

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◆来年開催されるG7伊勢志摩サミットの一環として、つくば市では2016年5月15日~17日にかけてG7科学技術大臣会合が開かれます。県と市は国際科学技術都市TSUKUBAを世界に発信し更なる投資と人材を呼び込むとか経済効果が当てこめるとかスイートルームを公費で増設しようだのと喜んでいますが、実際サミットとは何をやっている所なのでしょうか?そこに毎年集まる人たちが何をどうやって決めどのように実施しているのか、世界のてっぺんでの行事は下々の者にとっては、遥か雲上のお祭りのこだまの如く関わりようもないものに思えます。

◆しかし私たちがサミットに無関心になってしまうのは、それが非公式・非公開・非民主的な秘密会議であるという性格のゆえでもあります。世界のほぼ全ての国が加盟している国連と異なって何ら法的な根拠も持たず、自ら頂点=summitを名のるわずか数ヶ国(米・カナダ・英・仏・独・伊・日)の政府グループが、経済・貿易・金融・労働・社会保障・公共サービスそして軍事等あらゆる分野を可能な限り多国籍企業の活動しやすいようグローバルに再編してゆく、これがサミットの目的です。その実行の結果が地域経済の破綻・環境破壊・貧困・飢餓・難民そして戦争/テロとなって広がり、地球上を荒廃させ、抜きがたい絶望を植え付けてきた。それがここ40年の世界の歴史です。

◆サミット開催国で毎年大規模な抗議行動が起こるのはいたずらなお祭り騒ぎではありません。いま国内で進行しているTPP参加も派遣法改悪も安保法制もこの「世界政府」の統治下で進められており、一国だけでは、また政権がどう交代しても変えるのは不可能だということを私たちは思い知らねばならない。それでもまだサミットに不感無覚のまま、はかない<平和>と<民主主義>にすがって閉じ籠もり続けようとするのか?

◆今回読むのは、このような「サミット体制」の歴史と実体をじつに分かりやすくまとめ上げている唯一の本です。キーワードは<新自由主義>と<新植民地主義>。本書は新自由主義政策の入門としてもうってつけです。残念ながら品切れ中ですが、報告者が要約・解説するので大丈夫、未読OKです。「世界の暴動」なる素敵な4つのコラム付。

 

主催:戦時下の現在を考える講座

お問合せ:電話 080-5459-9576(鈴木)
                メール under_the_war_regime@yahoo.co.jp
                ブログ http://inwartimeinibaraki.hatenablog.com

                ツイッター https://twitter.com/against_war

 

9/27【フォー・ビギナーズ】憲法九条はなぜ制定されたか?

学習会/読書会

          戦時下の現在を考える講座 For Beginners
                  憲法九条はなぜ制定されたか?

 

9月27日(日)14:00 ー16:00頃
つくば市立春日交流センター 小会議室(つくば市春日2-36-1 Google マップ
・資料・室代 300円

・テクスト  古関彰一 (1943‐  独協大学名誉教授、法学・憲法史)

        『憲法九条はなぜ制定されたか』 岩波ブックレット、2006年

(サブテクスト  同『平和憲法の深層』ちくま新書、2015年)

 

              憲法九条がなぜ日本国憲法に盛り込まれる必要があったのか、
               九条との関係で日本の安全保障はどう考えられていたのか、
                     さらには、私たちは九条をどう受け入れてきたのか、
                        その受け入れ方がいまどう問われているのかを、

                            今だから、あらためて、原点から検証します。

 

                                       未読OK。報告者が解説します。

 

主催 戦時下の現在を考える講座

問合せ  電話  080-5459-9576(鈴木)
             メール  under_the_war_regime@yahoo.co.jp
             ブログ  http://inwartimeinibaraki.hatenablog.com
             ツイッター  https://twitter.com/against_war

 

「反戦・平和は生きているか?」(15年8月)集会報告

集会+デモ

反天皇制運動 カーニバル』30号(第Ⅸ期・反天皇制運動連絡会、2015年9月8日発行、通巻373号)に載せていただいた去る8月の集会報告を(少しだけ措辞を直して)ここに再掲します。編集部の方々、ありがとうございました。

 

                   敗戦七〇年 一日遅れの8・15 反戦・平和は生きているか?

 八月一六つくば市での集会とデモ。一二年からの八月企画で四回目。(茨城は運動が盛んだとか仲間が多いとかいうことはなくて、主催はデモの最小の役割分担にも足らない!) つくば市立吾妻交流センターでの集会はいつもと同じ位で二十名。今盛り上がっているテーマのためか、普段運動に関わりないという方や県内でも随分遠方から来てくれた初参加者がいる。
 とはいえ「一体いつから〈反戦〉と〈平和〉は切り離されてしまったんだ?」とビラに記したように、狙いは現在の「国民」運動への内在的な(私たちもその外側にはいないから)批判にある。今回お願いした須永守さん(日本近現代史研究者)のお話「反戦・平和は生きているか―「積極的平和主義」の源流を問う」は、「平和を守るため」の国家への献身を、保守・革新を超えて戦後日本が肯定するに至る過程を抉り出してくれた。「積極的平和主義」とは本来、貧困・差別・抑圧等の構造的暴力の変革を目指すもので、そのための闘いが〈反戦〉であるのに対し、安倍のそれは矛盾をさらに直接的暴力で抑圧する「消極的平和主義」にあたるという基本を確認した上で、日本が朝鮮戦争~独立~千鳥ヶ淵墓苑建設を経て、「平和の礎」としての戦没者像を確立する経緯が辿られてゆく。一貫して重要な役を果たす靖国。戦争行為を問うことから戦没者を切り離して「尊い犠牲」と意義付ける、〈反戦〉を忘却した〈平和〉の論理は、「平和を守るため」の戦争を拒めない。いま安倍と反安倍派はこの同じ〈平和〉の奪い合いをしているに過ぎないのではないか、という怖ろしい批判がここに浮上してくる。
 続く反戦・反天・反靖国デモは十五名。加えて地方のこんなちっぽけなデモにも地元のネトウヨ的方々が少しは応援に来て下さるのである。そのまま殆どの人が懇親会まで流れてくれ深更まで賑やかに続いた。一人から主催に発せられた問いかけ「君たちはこのまま少数派であることに自足するのか?」が残る。この国の自閉と自分たちの運動のそれと、二重の自閉の中にいる自分を意識する。

9/14『高神村一揆』を読む その2

学習会/読書会

  千年一日で読書会 『高神村一揆』を読む その2

9月14日(月)20:00ー22:00頃
千年一日珈琲焙煎所つくば市天久保3-21-3 星谷ビル1F Google マップ
参加費/ ワンドリンクご注文ください
テクスト/ 佐久間 耕治『高神村一揆 昭和初期の民衆蜂起』下巻                                              崙(ろん)書房 ふるさと文庫、1980年

佐久間耕治:1950年千葉県生。県内の高校の社会科教諭を経て、2012年「房総自由民権資料館」(http://www.minken3.sakura.ne.jp/)を私費で鴨川市に開設。同市在住。
主著:『房総の教育鉱脈 : 民衆・教師たち・思想と実践』(共著)崙書房ふるさと文庫1980
      『房総の自由民権 : 歩きながら考え、考えながら歩き続けて』同、1992
      『底点の自由民権運動 : 新史料の発見とパラダイム岩田書院、2002  など

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◆高神(たかがみ)村は、利根川の河口を挟んで茨城対岸にある千葉県・銚子市内の南端にあたる漁村です。ここで今から85年前の9月6日盆踊りの夜、村民が村長宅・役場・駐在所などを襲撃し、弾圧を受ける事件が起きました。県内一高い税金を搾られているところへ世界大恐慌が波及し、そこに役場の公金使い込みが発覚して、村民は急激に行動へと自らを駆り立ててゆきます。

◆前回読んだ上巻では、背景と一連の経過を追って<事実>を確認しました。今度の下巻は<解釈>篇です。事件関係者たちへの50年後のインタヴューから見えてくる部落の情景、漁民に自主性などなく村内有力者同士のいがみあいに過ぎないと言いたげな「郷土史家」の視線、事件をリアルタイムに取材して論じ作品にした地元アナーキスト詩人たちのコミューンの夢、民衆の武装蜂起を決然と肯定する高校教師の著者の「地方史」etc... 短期間に単線的な経過で発展し、同時代に激発していた労働争議や小作争議に比して未組織性・自然発生性が高いこの一揆/蜂起/暴動は、見る者によっていかようにも姿を変えうる、かなり魅力的な事件です。『銚子市史』からも抹殺されているというこの民衆史は今、私たちにどう読めるのか?

◆未読OKです(本も入手しにくい...)。前回のレジュメも配布するので事件の概要は把握できます。

 

主催 戦時下の現在を考える講座

問合せ  電話  080-5459-9576(鈴木)
             メール  under_the_war_regime@yahoo.co.jp
             ブログ  http://inwartimeinibaraki.hatenablog.com
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8/16(日)【集会+デモ】反戦・平和は生きているか?

集会+デモ

       敗戦70年 1日遅れの815 つくば集会 

                     反戦平和は生きているか?

 

8月16日(日)
◆集会 14:00-16:30
      つくば市立吾妻交流センター 大会議室

   (つくば市吾妻1-10-1、TX線つくば駅つくばセンタービル4F Google マップ
      参加費 500円

  Ⅰ.お話  須永 守さん(日本近現代史研究者):
   反戦平和は生きているか

    ―「積極的平和主義」の源流を問う

  Ⅱ.全体討論

 

◆デモ 17:00-18:00

 

主催/ 戦時下の現在を考える講座

お問合せ/ 電話  090-8441-1457(加藤) / 080-5459-9576(鈴木)
                  メール  under_the_war_regime@yahoo.co.jp
                  ブログ  http://inwartimeinibaraki.hatenablog.com
                  ツイッター  https://twitter.com/against_war

 

特定秘密保護法を通した次に集団的自衛権行使容認を閣議決定した政権は、戦争法案、もとい安保関連法案を通そうと国会審議を延長した。米軍基地を押し付けられ続けてきた沖縄は日本国政府に否を突きつけているが、政府は対話の意思すら見せず、陰で与党の政治家たちは沖縄を小馬鹿にし続けている。隣国やこの国で暮らす外国人への悪罵は書店やインターネットのみならず街頭にもあふれ、政治家たちは「遺憾」と口にするものの、その同じ口で言い回しを変えただけの悪罵を放つ。護憲主義者は急進的な改憲論者の首相に比べ、憲法を守る素振りを見せる天皇を高く評価する。そして今年に入り安倍首相はイスラム国やイスラム原理主義者たちに実質的な宣戦布告を行い、この国はイラク戦争以来ふたたび戦時下に突入した。今度の戦争は相手の姿すらはっきりせず、たぶん終わりはない。これが敗戦七十年目の夏のこの国の姿だ。
いつか来た道どころではない。新たな戦前でもない。戦争は現に行われている。民主党に敗れた自民党は極右政党として甦生したが、それは安倍首相だけが特別な存在ではないことを意味する。自民党の政治家の半分以上が、そして自民党に限らない多くの政治家も比喩ではなく文字通りの意味でファシストなのだ。この国ではそう報道されないだけだ。そして人々はファシストたちを支持し、右も左も「国民」に喜んで統合されてゆく。
一体私たちは、他国や自国の人々を殺すことに間接的にでも協力するつもりなどかけらもない私たちは、世襲の象徴を廃止すべきと考える私たちは、今どうすればいいのか。できることは何なのか。
敗戦七十年目の今を考えるために歴史を遡ってみる。アジア・太平洋戦争敗北のあと、戦争はいやだという思いは多くの人々に切実に共有され、「反戦平和」という言葉には強い意味と願いがこめられていた。だがある時点で「反戦」と「平和」は分離し、前者は忘却へと追いやられる。安倍の積極的「平和」主義と、護憲派が今それに対峙して掲げている「平和」とは、実は同じ戦後史の胎盤から産まれた双子にすぎないのだとしたら? 私たちの内に巣食っているこの歴史的無意識を日本近現代史研究者の須永守さんにえぐり出してもらい、集まった人たちで議論をしたい。議論の後は街頭に出よう。
そして多くの人に問いたい。反戦・平和は生きているか。

 

      一体いつから<反戦>と<平和>は

                   切り離されてしまったんだ?

声明「私たちはなぜ黙祷に反対するのか」(2014/03/11)

声明

2014年3月11日、戦時下の現在を考える講座は、原発製造メーカーである日立製作所の所在する茨城県日立市にて「ヌードな日立パレード」というデモを行いました。原発反対はもちろんですが、同時に政府主催の「東日本大震災追悼式」への反対を訴えるためでした。
その際、デモ参加者に配布した声明を以下にかかげます。明日の「全国戦没者追悼式」を前に、<黙祷>について改めて思い起こし、考えを深めていくための材料として。

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                             私たちはなぜ黙祷に反対するのか

 「黙祷」と号令がかかる時、人はだれを思い浮かべているのでしょうか。身近な、顔を知っている誰かを思い浮かべている場合ももちろん多いでしょう。でも、今日黙祷をする全国の人の多くは直接に「黙祷」すべき亡くなった人を知っているのではなく、「犠牲者一般」としか呼べないような抽象的な何者かしか思い浮かばないのではないでしょうか。自分が本当に知っている相手なら、他人から命令されなくともさまざまな局面で、その亡き人のことがさまざまな思いとともに浮かんでくるでしょう。黙祷とは場所と時間を決めて、亡き人を知る人も知らない人も行う公的な儀式のことです。その時、実は黙祷をしている人の内面は問われて おらず、人が集まって黙祷をしているという形こそが重視されます。

 そのことからもわかる通り、黙祷は、個人が亡き人を思い浮かべる「祈り」や「弔い」とは異質な何かです。それは黙祷が、それを見る人がいなければ成立しないことからも明らかです。黙祷は他人が見ていることを前提としています。誰も見ていないところで一人、亡き人に思いいたしていることを黙祷とは呼びません。

 多くの人が集まり亡き人のことを思っている形を見せるのはなぜでしょうか。人が哀しんでいる姿は胸を打つものです。哀しみは他の感情と同じく 他人にも伝わります。多勢の人が哀しんでいる姿は、見る者の胸を打ちます。黙祷は、それを行っている人と見ている人の双方に強い一体感を抱かせます。また 同時に、黙祷する人たちは、なにより一つになった自分たちを見ている、と言えます。

 今日の政府主催「東日本大震災三周年追悼式」で行われる黙祷は、亡き人のことを思うと共に、被災地の復興のために行われます。けれども地震津波原発事 故によるさまざまな死の意味を問い、自分との関係を考えるのは、本来は私たち一人一人のはずです。他人にその姿勢を見せなければならないものではありません。その過程や結論がいわゆる「復興」へと絞り込まれていくものでもないでしょう。

 しかし政府主催の式典を中心に、あの時間に全国いたるところで黙祷が行われるのは、国の考える形での「復興」 に向けて国民を一丸とするためであり、それへの異議は許されません。それは個別の意思を持つ人間を大きな集団にまとめるための儀式であり、その儀式は個々の人々のためではなく、その集団化のためにこそあります。今日の式典で行われる黙祷は、国による「国民」への動員です。今日黙祷する人々は、黙祷という行 為によってこれまで以上に「国民」として統合されていきます。だから今日、追悼式典に「国民統合の象徴」が出席するのです。

 国はそこに生きる人々を、国の都合のためにさまざまに動員します。国による動員の行き着く果ては戦争です。黙祷と聞いて多くの人は靖国神社を、八月十五日 を思い浮かべるでしょう。靖国神社は戦争で死んだ兵士を、国のため、天皇のために戦って死んだと褒めたたえることで、次に死ぬ兵士を準備していました。靖国こそは、この国が戦争を行うための精神的支柱です。今日の式典を開始した前政権も、そしていまの政権はなおのこと、憲法を改正して戦争ができる国にすることを目指しています。多くの異議の声を無視した法律の成立を強行し、政府への反対・異論を許さない社会をまさしくいま作りつつあるこの国で、今日全国一斉に黙祷が行われるのは、本当は大変に恐ろしいことなのではないでしょうか。

 私たちは黙祷して動員されることを拒否します。
 私たちは今日の政府主催、天皇出席の追悼式典に反対し、黙祷に反対します。

                                                             2014年3月11日   戦時下の現在を考える講座

8/10(月)千年一日で読書会 『高神村一揆』を読む

学習会/読書会

戦時下が千年一日で読書会  『高神村一揆』を読む

8月10日(月)20:00ー22:00
千年一日珈琲焙煎所(つくば市天久保3-21-3 星谷ビル1F  Google マップ
参加費/ ワンドリンクご注文ください
テクスト/ 佐久間 耕治『高神村一揆 昭和初期の民衆蜂起』上巻

                  (崙(ろん)書房 ふるさと文庫、1980年)
 ※下巻を読む日程はこの時に決めます。

◆千葉県海上郡高神村は今の銚子市の一部に当たる。利根川の対岸は茨城県神栖市だ。この村で一九三〇(昭和五)年、村政への不満から暴動が起きた。
◆暴動なんてこの国ではとんとお目にかかれない。マスコミは海外の暴動を犯罪としてのみ報じ、警察は暴動の芽を摘み取ろうとデモを過剰に抑えつけ、渋谷じゃ新年やワールドカップのお祭り騒ぎまで先回りして規制してる。この国で暴動が起きていたのは四十年も昔の話だ。〇八年の大阪・釜が崎の暴動はほとんど報じられずに終わった。暴動を起こすような怒りなんてもうないのだろう。それとも洗練されたのかな。十二年の国会周辺での脱原発に集まった人々は、呼びかけた反原連を始め実にお行儀がよかった。
◆各地で非正規労働者が先行きの見えない絶望から「誰でもよかった」と通り魔的事件を起こしている。彼らには「敵」が見えず、戦うべき相手を間違えたんだと思う。私たちは、まだ怒りを持っている。
◆私たちは暴動がどんなものか知らないし、ましてや私たちの暮らしている地域で起きていたなんて想像もできない。ここに高神村の暴動について書かれた本がある。面白そうだから読んでみよう。
図書館で問い合わせればたぶん読める。報告者がいるので未読でも大丈夫。八十五年前の暴動が、遠い昔の対岸の出来事で終わるのかはあなた次第だ。

 

                 「ジャパンにも、暴動ノススメ、」

 

主催/ 戦時下の現在を考える講座

お問合せ/ 電話  090-8441-1457(加藤) / 080-5459-9576(鈴木)
                  メール  under_the_war_regime@yahoo.co.jp
                  ブログ  http://inwartimeinibaraki.hatenablog.com
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