9/14『高神村一揆』を読む その2

  千年一日で読書会 『高神村一揆』を読む その2

9月14日(月)20:00ー22:00頃
千年一日珈琲焙煎所つくば市天久保3-21-3 星谷ビル1F Google マップ
参加費/ ワンドリンクご注文ください
テクスト/ 佐久間 耕治『高神村一揆 昭和初期の民衆蜂起』下巻                                              崙(ろん)書房 ふるさと文庫、1980年

佐久間耕治:1950年千葉県生。県内の高校の社会科教諭を経て、2012年「房総自由民権資料館」(http://www.minken3.sakura.ne.jp/)を私費で鴨川市に開設。同市在住。
主著:『房総の教育鉱脈 : 民衆・教師たち・思想と実践』(共著)崙書房ふるさと文庫1980
      『房総の自由民権 : 歩きながら考え、考えながら歩き続けて』同、1992
      『底点の自由民権運動 : 新史料の発見とパラダイム岩田書院、2002  など

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◆高神(たかがみ)村は、利根川の河口を挟んで茨城対岸にある千葉県・銚子市内の南端にあたる漁村です。ここで今から85年前の9月6日盆踊りの夜、村民が村長宅・役場・駐在所などを襲撃し、弾圧を受ける事件が起きました。県内一高い税金を搾られているところへ世界大恐慌が波及し、そこに役場の公金使い込みが発覚して、村民は急激に行動へと自らを駆り立ててゆきます。

◆前回読んだ上巻では、背景と一連の経過を追って<事実>を確認しました。今度の下巻は<解釈>篇です。事件関係者たちへの50年後のインタヴューから見えてくる部落の情景、漁民に自主性などなく村内有力者同士のいがみあいに過ぎないと言いたげな「郷土史家」の視線、事件をリアルタイムに取材して論じ作品にした地元アナーキスト詩人たちのコミューンの夢、民衆の武装蜂起を決然と肯定する高校教師の著者の「地方史」etc... 短期間に単線的な経過で発展し、同時代に激発していた労働争議や小作争議に比して未組織性・自然発生性が高いこの一揆/蜂起/暴動は、見る者によっていかようにも姿を変えうる、かなり魅力的な事件です。『銚子市史』からも抹殺されているというこの民衆史は今、私たちにどう読めるのか?

◆未読OKです(本も入手しにくい...)。前回のレジュメも配布するので事件の概要は把握できます。

 

主催 戦時下の現在を考える講座

問合せ  電話  080-5459-9576(鈴木)
             メール  under_the_war_regime@yahoo.co.jp
             ブログ  http://inwartimeinibaraki.hatenablog.com
             ツイッター  https://twitter.com/against_war

 

 

8/16(日)【集会+デモ】反戦・平和は生きているか?

       敗戦70年 1日遅れの815 つくば集会 

                     反戦平和は生きているか?

 

8月16日(日)
◆集会 14:00-16:30
      つくば市立吾妻交流センター 大会議室

   (つくば市吾妻1-10-1、TX線つくば駅つくばセンタービル4F Google マップ
      参加費 500円

  Ⅰ.お話  須永 守さん(日本近現代史研究者):
   反戦平和は生きているか

    ―「積極的平和主義」の源流を問う

  Ⅱ.全体討論

 

◆デモ 17:00-18:00

 

主催/ 戦時下の現在を考える講座

お問合せ/ 電話  090-8441-1457(加藤) / 080-5459-9576(鈴木)
                  メール  under_the_war_regime@yahoo.co.jp
                  ブログ  http://inwartimeinibaraki.hatenablog.com
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特定秘密保護法を通した次に集団的自衛権行使容認を閣議決定した政権は、戦争法案、もとい安保関連法案を通そうと国会審議を延長した。米軍基地を押し付けられ続けてきた沖縄は日本国政府に否を突きつけているが、政府は対話の意思すら見せず、陰で与党の政治家たちは沖縄を小馬鹿にし続けている。隣国やこの国で暮らす外国人への悪罵は書店やインターネットのみならず街頭にもあふれ、政治家たちは「遺憾」と口にするものの、その同じ口で言い回しを変えただけの悪罵を放つ。護憲主義者は急進的な改憲論者の首相に比べ、憲法を守る素振りを見せる天皇を高く評価する。そして今年に入り安倍首相はイスラム国やイスラム原理主義者たちに実質的な宣戦布告を行い、この国はイラク戦争以来ふたたび戦時下に突入した。今度の戦争は相手の姿すらはっきりせず、たぶん終わりはない。これが敗戦七十年目の夏のこの国の姿だ。
いつか来た道どころではない。新たな戦前でもない。戦争は現に行われている。民主党に敗れた自民党は極右政党として甦生したが、それは安倍首相だけが特別な存在ではないことを意味する。自民党の政治家の半分以上が、そして自民党に限らない多くの政治家も比喩ではなく文字通りの意味でファシストなのだ。この国ではそう報道されないだけだ。そして人々はファシストたちを支持し、右も左も「国民」に喜んで統合されてゆく。
一体私たちは、他国や自国の人々を殺すことに間接的にでも協力するつもりなどかけらもない私たちは、世襲の象徴を廃止すべきと考える私たちは、今どうすればいいのか。できることは何なのか。
敗戦七十年目の今を考えるために歴史を遡ってみる。アジア・太平洋戦争敗北のあと、戦争はいやだという思いは多くの人々に切実に共有され、「反戦平和」という言葉には強い意味と願いがこめられていた。だがある時点で「反戦」と「平和」は分離し、前者は忘却へと追いやられる。安倍の積極的「平和」主義と、護憲派が今それに対峙して掲げている「平和」とは、実は同じ戦後史の胎盤から産まれた双子にすぎないのだとしたら? 私たちの内に巣食っているこの歴史的無意識を日本近現代史研究者の須永守さんにえぐり出してもらい、集まった人たちで議論をしたい。議論の後は街頭に出よう。
そして多くの人に問いたい。反戦・平和は生きているか。

 

      一体いつから<反戦>と<平和>は

                   切り離されてしまったんだ?

声明「私たちはなぜ黙祷に反対するのか」(2014/03/11)

2014年3月11日、戦時下の現在を考える講座は、原発製造メーカーである日立製作所の所在する茨城県日立市にて「ヌードな日立パレード」というデモを行いました。原発反対はもちろんですが、同時に政府主催の「東日本大震災追悼式」への反対を訴えるためでした。
その際、デモ参加者に配布した声明を以下にかかげます。明日の「全国戦没者追悼式」を前に、<黙祷>について改めて思い起こし、考えを深めていくための材料として。

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                             私たちはなぜ黙祷に反対するのか

 「黙祷」と号令がかかる時、人はだれを思い浮かべているのでしょうか。身近な、顔を知っている誰かを思い浮かべている場合ももちろん多いでしょう。でも、今日黙祷をする全国の人の多くは直接に「黙祷」すべき亡くなった人を知っているのではなく、「犠牲者一般」としか呼べないような抽象的な何者かしか思い浮かばないのではないでしょうか。自分が本当に知っている相手なら、他人から命令されなくともさまざまな局面で、その亡き人のことがさまざまな思いとともに浮かんでくるでしょう。黙祷とは場所と時間を決めて、亡き人を知る人も知らない人も行う公的な儀式のことです。その時、実は黙祷をしている人の内面は問われて おらず、人が集まって黙祷をしているという形こそが重視されます。

 そのことからもわかる通り、黙祷は、個人が亡き人を思い浮かべる「祈り」や「弔い」とは異質な何かです。それは黙祷が、それを見る人がいなければ成立しないことからも明らかです。黙祷は他人が見ていることを前提としています。誰も見ていないところで一人、亡き人に思いいたしていることを黙祷とは呼びません。

 多くの人が集まり亡き人のことを思っている形を見せるのはなぜでしょうか。人が哀しんでいる姿は胸を打つものです。哀しみは他の感情と同じく 他人にも伝わります。多勢の人が哀しんでいる姿は、見る者の胸を打ちます。黙祷は、それを行っている人と見ている人の双方に強い一体感を抱かせます。また 同時に、黙祷する人たちは、なにより一つになった自分たちを見ている、と言えます。

 今日の政府主催「東日本大震災三周年追悼式」で行われる黙祷は、亡き人のことを思うと共に、被災地の復興のために行われます。けれども地震津波原発事 故によるさまざまな死の意味を問い、自分との関係を考えるのは、本来は私たち一人一人のはずです。他人にその姿勢を見せなければならないものではありません。その過程や結論がいわゆる「復興」へと絞り込まれていくものでもないでしょう。

 しかし政府主催の式典を中心に、あの時間に全国いたるところで黙祷が行われるのは、国の考える形での「復興」 に向けて国民を一丸とするためであり、それへの異議は許されません。それは個別の意思を持つ人間を大きな集団にまとめるための儀式であり、その儀式は個々の人々のためではなく、その集団化のためにこそあります。今日の式典で行われる黙祷は、国による「国民」への動員です。今日黙祷する人々は、黙祷という行 為によってこれまで以上に「国民」として統合されていきます。だから今日、追悼式典に「国民統合の象徴」が出席するのです。

 国はそこに生きる人々を、国の都合のためにさまざまに動員します。国による動員の行き着く果ては戦争です。黙祷と聞いて多くの人は靖国神社を、八月十五日 を思い浮かべるでしょう。靖国神社は戦争で死んだ兵士を、国のため、天皇のために戦って死んだと褒めたたえることで、次に死ぬ兵士を準備していました。靖国こそは、この国が戦争を行うための精神的支柱です。今日の式典を開始した前政権も、そしていまの政権はなおのこと、憲法を改正して戦争ができる国にすることを目指しています。多くの異議の声を無視した法律の成立を強行し、政府への反対・異論を許さない社会をまさしくいま作りつつあるこの国で、今日全国一斉に黙祷が行われるのは、本当は大変に恐ろしいことなのではないでしょうか。

 私たちは黙祷して動員されることを拒否します。
 私たちは今日の政府主催、天皇出席の追悼式典に反対し、黙祷に反対します。

                                                             2014年3月11日   戦時下の現在を考える講座

8/10(月)千年一日で読書会 『高神村一揆』を読む

戦時下が千年一日で読書会  『高神村一揆』を読む

8月10日(月)20:00ー22:00
千年一日珈琲焙煎所(つくば市天久保3-21-3 星谷ビル1F  Google マップ
参加費/ ワンドリンクご注文ください
テクスト/ 佐久間 耕治『高神村一揆 昭和初期の民衆蜂起』上巻

                  (崙(ろん)書房 ふるさと文庫、1980年)
 ※下巻を読む日程はこの時に決めます。

◆千葉県海上郡高神村は今の銚子市の一部に当たる。利根川の対岸は茨城県神栖市だ。この村で一九三〇(昭和五)年、村政への不満から暴動が起きた。
◆暴動なんてこの国ではとんとお目にかかれない。マスコミは海外の暴動を犯罪としてのみ報じ、警察は暴動の芽を摘み取ろうとデモを過剰に抑えつけ、渋谷じゃ新年やワールドカップのお祭り騒ぎまで先回りして規制してる。この国で暴動が起きていたのは四十年も昔の話だ。〇八年の大阪・釜が崎の暴動はほとんど報じられずに終わった。暴動を起こすような怒りなんてもうないのだろう。それとも洗練されたのかな。十二年の国会周辺での脱原発に集まった人々は、呼びかけた反原連を始め実にお行儀がよかった。
◆各地で非正規労働者が先行きの見えない絶望から「誰でもよかった」と通り魔的事件を起こしている。彼らには「敵」が見えず、戦うべき相手を間違えたんだと思う。私たちは、まだ怒りを持っている。
◆私たちは暴動がどんなものか知らないし、ましてや私たちの暮らしている地域で起きていたなんて想像もできない。ここに高神村の暴動について書かれた本がある。面白そうだから読んでみよう。
図書館で問い合わせればたぶん読める。報告者がいるので未読でも大丈夫。八十五年前の暴動が、遠い昔の対岸の出来事で終わるのかはあなた次第だ。

 

                 「ジャパンにも、暴動ノススメ、」

 

主催/ 戦時下の現在を考える講座

お問合せ/ 電話  090-8441-1457(加藤) / 080-5459-9576(鈴木)
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7/19(日)【フォー・ビギナーズ】『靖国問題』を読む

戦時下の現在を考える講座 FOR BEGINNERS

          『靖国問題』を読む

7月19日(日)14:00ー16:00
つくば市立吾妻交流センター 小会議室
つくば市吾妻1-10-1、TX線つくば駅つくばセンタービル4F Google マップ
資料・室代/ 300円 
テクスト/ 高橋 哲哉 『靖国問題 (ちくま新書、2005年)

◆自国の戦死者のことなのに、どうしていろいろ言われなきゃならないの? 宗教のことなのに、どうして政治問題になるの? と思っているあなたに。そして、靖国はダメだけど、国立追悼施設は必要だよね、と思っているあなたへ。
靖国神社は1869年に国によって作られた、陸海軍省管轄の軍事施設でした。その歴史は明治維新以降のこの国の近代史にそのまま重なります。なぜ、神社なのに軍事施設なのでしょうか?
また、戦死者の追悼を、戦争を起こし兵士を殺し合わせた「国」が行うのは、正しいことなのでしょうか。
◆「国のために倒れた人に対して、国民が感謝を捧げる場所がある、これは当然のことであり、 さもなくして誰が国に命を捧げるか」、これは三十年前の首相の言葉です。この言葉の後にはきっとこう続くのでしょう、「国が祀らなければ次の戦争で誰も戦わない」。多分もう始まっている〝次の戦争〟に巻き込まれないために、高橋哲哉靖国問題』を読みます。未読でもOK。

 

        <歩く靖国>って、だ~れだ?

 

主催 戦時下の現在を考える講座

問合せ 電話  090-8441-1457(加藤) / 080-5459-9576(鈴木)
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