茨城国体を問う連続学習会『国民体育大会の研究』を読む(前篇)

茨城国体を問う連続学習会『国民体育大会の研究』を読む(前篇)

 

日時 2019年4月16日(火)19時から21時

会場 つくば市吾妻交流センター和室(つくば市吾妻1-10-1 つくばセンタービル4階     つくばエクスプレスつくば駅

テキスト 権学俊『国民体育大会の研究 ナショナリズムとスポーツ・イベント』

    (青木書店、2006年)。読んでいなくてもOK。報告者が報告します。

 

参加費 500円

主催 戦時下の現在を考える講座 連絡先 090-8441-1457(加藤)

mail: under_the_war_regime@yahoo.co.jp

blog: http://inwartimeinibaraki.hatenablog.com

twitter:@against_war

*『国民体育大会の研究』を読む(後篇)は6月11日(火)の同じ時間に同じ会場で行う予定です。

 

敗戦の翌年から現在もなお続く巨大で特異な祭典の全貌

天皇・皇族の列席や「日の丸」「君が代」に象徴される国民統合機能、県民を巻き込む地域社会統合機能、また競技施設や道路建設などの開発主義的な役割...。その多様な性格を戦後日本におけるスポーツ政策の展開とともに描き出す。(帯より)

 

 

 今年九月二十八日から十月八日まで、県内全市町村で「いきいき茨城ゆめ国体」が行われる。しかしその全体像はよくわからない。花いっぱい運動とか、スポーツとどんな関係が?開催県が必ず優勝するシステムは?スポーツと縁のなさそうな天皇は、何しに来る?

 国民体育大会について知るために、国体についてのまとまった研究としては多分唯一の本である『国民体育大会の研究』を読む。読みながら、そもそも国体とは何なのか、今の私たちに必要なものなのか、考えてみる。

 

 連続学習会、六月十一日には『国民体育大会の研究』を読む(後篇)を、八月には六十年代から八十年代に行われていた国体民主化運動と七十四年の茨城国体で発覚した汚職事件を取り上げる予定。国体期間中は国体に反対する催しを行う予定。

 この問題に関心のある方、共に考え、動いてみたい方は連絡を!

 

 

 

 

 

 

 

国体なんかいらない 天皇代替わりと国民体育大会を問う

国体なんかいらない 天皇代替わりと国民体育大会を問う

2019年2月10日(日)14時から 

吾妻交流センター大会議室(つくば市吾妻1-10-1つくばセンタービル4F つくばエクスプレスつくば駅A3出口より徒歩3分)

お話 井上森さん(元・やってる場合か!『スポーツ祭東京』実行委員会)

   イノリさん(もう、やめよう国体!埼玉の会)

 

参加費 500円

主催 戦時下の現在を考える講座

連絡先 090-8441-1457(加藤)

mail: under_the_war_regime@yahoo.co.jpblog: http://inwartimeinibaraki.hatenablog.com

twitter: https://twitter.com/against_war

 

次の天皇の即位までもう残り数ヶ月。十連休だ、「平成最後の~」だと世間は浮かれている。時給で働く人には十連休なんて災害でしかないし、役所や病院が十日休むのも災害に近い。一連の代替わり儀式には百六十六億円かかると言う。社会保障を削って、消費税が上がって、だ。財源が違う?でも元々は税金だよね?二十世紀の初め、世界の人口の九十パーセントは君主制の下で生きていたが、六十を超える国で君主制は廃止され、現在残っているのは約三十か国、世界人口の十パーセント以下に減っているという。二十一世紀に入ってからもアフガニスタン・イスラム首長国とネパールで廃止されている。世界的に君主制基本的人権に反するものとして廃止されつつある。天皇の行うことは憲法で規定されている国事行為の他は全てが私的行為、個人的な事柄のはずだが、実際には憲法に規定されていない公的行為を数多く行っている。例えば皇室外交や園遊会であり、国民体育大会全国植樹祭、全国海づくり大会の三つはそれらの中でも全国を巡回して行われる三大行事といわれている。十九年の九月から十月にかけて茨城に国民体育大会がやって来る。そのことの意味を考えたい。 

 

 国体なんかいらない。

国体=天皇制なんかいらない。例えば憲法基本的人権主権在民といった原則は天皇がいるだけで破綻する。生まれた時からエラい人がいる社会は平等な社会ではないし、以前は唯一人の主権者だった存在が象徴と言われては、私たちは本当に主権者なのかと疑いたくもなる。 いや、憲法なんて持ち出さなくても、私たちは臣民でも奴隷でもない。たかだか百五十年前に当時の政府が作った制度を伝統だと言われても困る。そんな伝統はインチキだし、私たちを抑え込み従わせようとする伝統なんかいらない。それに、生まれながらにエライ人がいるとは生まれながらにエラくない人がいるということで、それはとても差別的な考え方じゃないか? 私たちは天皇制なんかいらない。 

 

国体なんかいらない。

国体=国民体育大会なんかいらない。 国民体育大会は戦時中の総力戦を戦える「国民の体力」を増進させる政策に端を発し、敗戦後スポーツを通じてナショナリズムを鼓舞するために計画された。現在の中心的な主催者日本体育協会も前身は戦時中の政策を担っていた。 開催県が毎年優勝する不可思議なスポーツ大会として知られるが、全国規模の催しでありながら開催県の一部だけが盛り上げようとしている催しであり、学校の生徒や教員、自治体職員への過度の負担と、施設整備などで膨れ上がった開催費用から無用論や廃止論も語られているイベントである。既に子どもたちは学校で、数年前から国民体育大会のために授業を使って練習を行っている。七十四年の茨城国体では汚職も発覚した。 さらに、法的根拠のない天皇の公的行為として、大会での天皇の出席、あいさつが恒例となっている。しかし、これまた憲法での規定もないのに国家元首扱いをされるような人物が法的根拠のないことを職務として行っていいはずがない。それに、そもそもスポーツは天皇や政治家に見せるために行うものではないだろう。 私たちは国民体育大会なんかいらない。 四月、六月、八月と国民体育大会についての学習会を行い、九月から十月にかけて行われる「いきいき茨城ゆめ国体」期間中にいくつかの催しを行います。乞御期待!

連続学習会・象徴天皇制を考える№11 新たな天皇代替わりにどう立ち向かうか

連続学習会・象徴天皇制を考える№11

新たな天皇代替わりにどう立ち向かうか

12月15日(土)13時半~16時

吾妻交流センター大会議室(TXつくば駅下車)

お話 中川信明さん(靖国天皇制問題情報センター)

参加費 500円

主催 戦時下の現在を考える講座 連絡先090-8441-1457(加藤)

 

天皇の即位まで、もう半年を切っています。

憲法に違反した、天皇による政治的発言から今回の代替わりは始まりました。しかし、憲法違反についてはほぼ問題とされないままに、人々は現天皇の発言を好意的に受けとめ、法が作られ、事態は動いています。天皇制の存続は自明のこととされ、議論の対象とはなっていません。けれども、例えば憲法には「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とありますが、私たちは一度も天皇の存在や地位について「総意」を問われたことはありません。また、身分制度の頂点ということは日本国憲法の平等原則に反しています。

天皇護憲派だと言われていますが、天皇天皇たらしめている法的根拠は日本国憲法しかなく、天皇が自身の存在基盤の法を護ると言うのは当たり前のことです。憲法天皇の法的根拠がある限り、それがどんな憲法でも天皇は「護る」と言うでしょう。

私たちは今回の天皇代替わりに際し、あらためて天皇制をなくすための努力をしなければならないのではないでしょうか。そのために今回は、前回の代替わり時から天皇制の問題を問い続けている「靖国天皇制問題情報センター」の中川信明さんを招いて、前回の代替わりをどう戦ったのか、今の代替わり状況をどう見るか、を話してもらいます。

連続学習会・象徴天皇制を考えるNo10 三十年前の天皇代替わり時の 運動をふりかえる

連続学習会・象徴天皇制を考えるNo10

三十年前天皇代替わり時

運動ふりかえる

10月14日(日)14時~16時

つくば市立春日交流センター  小会議室

つくば市春日2-36-1、筑波大学病院そば・春日学園義務教育学校向い)

参加費 300円

主催/戦時下の現在を考える講座tel: 090-8441-1457(加藤)

mail: under_the_war_regime@yahoo.co.jpblog

http://inwartimeinibaraki.hatenablog.comtwitter

https://twitter.com/against_war

 

 

 

 


  一九八八年九月二十日の裕仁天皇重体報道を皮切りに、「昭和」から「平成」への天皇代替わりは始まりました。
  TVは天皇の血圧や体温を日に何度も報じ、CMから「お元気ですか」と言う言葉が消され、企業や人々は「不敬」呼ばわりされることを恐れて互いに空気を読み合い、様々な行いを「自粛」し、収入が途絶えて自殺へと追い込まれる人まで現れました。
 そうした理不尽は、しかし当然のように人々の反発を招き、裕仁天皇の戦争責任問題も相まって声を上げる人々が現れ、全国の至るところで 抗議行動や集会、訴訟や異議申し立てが行われました。前回の代替わりは史上最大規模で天皇制への抗議が公然と行われた時間でもあったのです。

   三十年前の天皇代替わり時の運動をあらためて振り返り、今私たちに何ができるのかを考える糸口にしたいと思います。

死刑制度が守るものは何か 「オウム真理教事件への 13 人執行から考える」

<死刑制度を考える討論会>
 
死刑制度が守るものは何か
 
オウム真理教事件への 13 人執行から考える」
 
7 6 日に 6 人と 26 日に 7 人、オウム真理教の一連の事件の裁判で死刑判決を受けた計 13 人の刑が執行されました。大逆事件以来の大量執行でもあり、初回の再審請求中という通例では執行しない人や人を殺してはいない人も含まれている今回の死刑執行は、事件の特異性に対する日本国の回答でもあり、内外に強い衝撃を与えました。EU駐日代表部とヨーロッパ各国の駐日大使は今回の死刑執行を批判する声明を、またローマ法王庁もこれまで「特殊な事情に限り」容認するとしていた死刑に対する見解を改め、「死刑は個人の不可侵性と尊厳に対する攻撃であり、容認できない」と表明しました。しかし日本国政府はこれらの、人権を最重要視する以上は死刑の廃止または執行停止が当然との国際社会からの批判に全く動ずることなく、今後も死刑執行を継続するとの姿勢を崩していません。日本国 政府は何を守ろうとして死刑を行うのでしょうか。
 
【日時】 9/16 (日) 14 00 16 00
 
【会場】つくば市春日交流センター大会議室
 
春日学園義務教育学校向かい
 
【参加費】 300
 
主催 / 戦時下の現在を考える講座
 
連絡先 090-8441-1457 (加藤)
 
 
 
 
  「私たちは死刑制度とどのように向き合うのか」
 
今回の 13 人への執行により一連の事件がなぜ起きたのか、どうすれば防げたのかを、事件を引き起こした人々を通じて私たちが知る機会は永久に喪われました。この事は私たちの意識から事件で傷ついた多くの人々の姿さえも消し去る事につながりかねません。罪を犯した人が事件と向き合い、どのように変わっていくのかを知る機会も喪われました。
 
この国では死刑存置派が 7 割に上るというデータもあります。その根拠は「人を殺した者」に対する応報感情でしょうが、死刑も殺人という行為を制度化したものです。再び殺す事で取り戻せるものはなにもありません。私たちの社会が生命の尊厳に向き合うのなら、殺人者でもその生命は分け隔てなく尊ばれるべきではないでしょうか。いかなる場合でも、国家といえども、殺人を行う事を正当化してはいけないのです。
 
殺人のような重大な犯罪に対し抑止力を期待できず、冤罪という極めて深刻な人権侵害の危険性がある死刑という制度は即刻廃止されるべきです。
 
今回の執行について政府関係者は「平成の事件は平成のうちに」と言っています。来年の天皇代替わりが今回の執行を招いたと言っていいのでしょう。しかしそのような政治的スケジュールによって人の生命を「管理」していいのでしょうか。日本国政府は一体何を守ろうとして死刑を行い続けているのでしょうか。そして私たちの社会は何を守るために死刑を望むのでしょうか。
 
死刑問題に関心を寄せる多くの方と議論をしたいと思っています。